大阪個室ビデオ店放火事件

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小川和弘
小川和弘

大阪個室ビデオ店放火事件は、2008年10月1日大阪府大阪市浪速区個室ビデオ店で発生した小川和弘による放火殺人事件である。25人が死傷した(16人死亡)。2014年現在、小川和弘は大阪拘置所勾留中。

事件概要

平成20年10月1日午前2時55分ごろ、大阪市浪速区難波中の雑居ビル1階の個室ビデオ店「試写室キャッツなんば店」が放火され、店内にいた客16人が死亡、ビルの上階を含め、9人が重軽傷を負った。

同日、大阪府警は殺人、現住建造物等放火などの疑いで、小川和弘を逮捕した。小川は当初は容疑を認める供述をしていたが、後に「記憶がない」などと否認に転じた。しかし、1審、2審とも死刑判決が下され、小川被告側は上告したが、2014年3月上告棄却が決定し、死刑が確定した。

国は個室ビデオ店などの緊急調査を実施。約6割で消防法違反、約3割で建築基準法違反が見つかるなど、業界の防火管理体制の不備が社会問題となった。大阪府警はビルの防火管理者や店側の業務上過失致死傷罪での立件を検討したが、約1年後に断念した。

詳細

2008年10月1日午前3時頃、浪速区の難波駅前商店街の一角にある雑居ビル1階の個室ビデオ店から出火し、約1時間40分後に鎮火した。同店には32室の個室があり、出火当時26人の客と3人の店員がいたが、15人が一酸化炭素中毒で死亡し、10人が重軽傷を負った。なお、10月14日朝には意識不明の重体だった男性客が入院先の病院で死亡し、事件の犠牲者は計16人となっている。また、2日夜までに25〜61歳の男性12人の身元が確認されたが、3人については身分証明証の類を所持していなかったこともあって確認が難航し、最後の一人の身元が判明したのは24日になってからだった。

当初はタバコによる失火とも見られていたが、同日午後になって火元の個室を使用していた東大阪市在住の当時46歳の小川和弘が現住建造物等放火などの容疑で逮捕された。小川和弘は、電機業界大手の松下電器産業(現・パナソニック)に入社。その後、松下電器産業でリストラされた後、無職定職もなく生活保護を受けていた。また、事件の後に消費者金融から多額の借金があることも分かった。

警察の取調べによれば、小川和弘は数日前に知り合った人物に連れられて同日午前1時半頃に来店。「生きていくのが嫌になり、ライターで店内のティッシュペーパーに火を付け、持ってきたキャリーバッグの荷物(新聞紙や衣服が入っていた)などに燃え移らせた」と供述していることが明らかにされており、この火がソファーなどに燃え移って延焼したと見られている。

事件同日は偶然にも、個室ビデオ店舗などにも自動火災報知器の設置を義務付ける改正消防法の施行当日であり、この事件を受けて全国で個室ビデオやカラオケボックスなどに対する緊急の立ち入り調査が行われた。その結果、多くの店舗で報知器や消火器の未設置など、消防法違反や防火体制の不備が確認されたことが報じられている。

10月22日大阪地方検察庁は小川和弘を殺人、殺人未遂、現住建造物等放火の罪で起訴した。戦後日本において起訴された事件で一人の人間が一日で犯した殺人による死者16人は過去最悪の人数である。

小川和弘は公判では供述を一転させ「火は付けていない」と無罪を主張したが、2009年12月2日、大阪地方裁判所求刑通り死刑を言い渡した。

2010年11月30日大阪高等裁判所控訴審の初公判が行なわれ、弁護側が自白は「警察官から怒られて怖くなったため」などとして自白調書に任意性や信用性はないと述べるとともに「火元は被告が使っていたのとは別の部屋」として無罪を主張した。2011年7月26日、大阪高等裁判所は弁護側の控訴を棄却、一審同様死刑判決を下した。7月28日、弁護側は判決を不服として最高裁判所上告した。

2014年3月6日、上告棄却となり死刑確定。

犯人・小川和弘

「リストラ」放火容疑者が奪った「倒産からの復活」人生

大阪・難波の個室ビデオ店の放火で死亡した15人のうち、さらに8人の身元が判明した。1人は介護ヘルパーの舞野学さん(49)だった。

2年前に経営していた会社が倒産して、介護ヘルパーになった。仕事を続けながら、介護福祉士の国家資格をとろうとしていた。「体力があったからね。かかえあげたり風呂にいれたりは彼にしかできない仕事だった」と同僚がいう。第2の人生を開く足場が、個室ビデオ店だった。

同僚によると「職場にも近くて安い」と、ここを寝泊まりの場にしていたという。「受付の人と親しくなって、広めの部屋を確保してくれると喜んでいた」

当日の朝、仕事に現れないのでいぶかっていたところへ、警察から連絡があって、事件に巻き込まれたことを知った。同夜の通夜の席で、友人らは「第2の人生を介護にかけるといっていた」「まわりに勇気を与えてくれる人だった」と惜しんだ。

放火した小川和弘容疑者(46)の挫折人生も明らかになった。

15年前、門真市の一戸建てに母親と妻、一男一女の幸せな生活。優しい父親だったと、近所の人はいう。その後、離婚して妻と娘が去り、7年前にパナソニックリストラされて、人が変わった。近所の子どもたちのキャッチボールに怒ったり、無類のギャンブル好きで、競馬で1000万当てたとかいう話を聞いた人もいる。

その後借金返済に家を売り払い、いまの東大阪市のワンルームマンション住まいになったあたりから奇行が目立ってきた。

パンツひとつで徘徊したりよその家に上がり込んだり、夜部屋へこいと誘ったり。定職もなく、今年に入ってからは生活保護を受けていた。事件のあと、消費者金融から多額の借金があることもわかった。

逮捕(放火、殺人容疑)後、「生きてるのが嫌になった」といっている。また、「自殺しようと思ったが、息苦しくなって逃げた」ともいっており、借金を苦にしての場当たり的な犯行ともとれる。しかし、彼と一緒に入店した友人は、大やけどを負って重態。まだ、事情も聞けない。

小川和弘、遺産5000万円を2年で

小川は平成2年公務員だった母親の退職金を頼りに大阪府門真市に3階建て住宅を購入した。平成6年に妻と離婚してから生活が荒れ始め、競馬やパチンコにのめり込むようになった。平成13年には勤務していたパナソニックの希望退職に応じ、約1000万円の退職金を受け取ったが、1年後には消費者金融から借金を重ねており、わずか1年で退職金を使い果たした。

平成16年には母親が病死し、一人っ子だったため遺産をすべて相続。生命保険金や実家と門真市の自宅の売却で、総額約5000万円を手にした。小川はこの金で100万円余りの借金を返済するとともに、約1300万円で大阪府東大阪市の中古マンションを購入した。

手元には約3500万円が残った計算だが、2年も持たずに使い果たし、平成18年夏ごろには再び消費者金融から借り入れを始めていた。

平成19年4月には借金は600万円になり、マンションを売却して返済。その後、賃貸マンションに移ったが、家賃も払えなくなり、平成20年4月から生活保護を受給していた。

母の寿命縮める放蕩ぶり。がんで入院中も金の無心

母親依存の人生-。無職、小川和弘は女手一つで育てられながら、がんに冒された母親に金を無心していた。周辺からは「成人後もおんぶに抱っこの生活で、母親の寿命を縮めた」と非難する声が上がっている。

「母親が亡くなる直前から、『金出せ、金くれ』と取り立てるように無心していたようです」

こう証言するのは、大阪府寝屋川市に住む無職男性(68)。小川の知人で、今回の事件の約2週間前に「1万円貸してください」と土下座され、断った。

男性によると、小川の母親は警察関係の職員として働きながら、同容疑者を女手一つで育てあげたという。「彼が寝屋川市で生活していたころはシャツ1枚にしてもパリッと仕上がっていました。みっともない格好をさせたくなかったのでしょう」と話す。

小川は結婚後の1990年ごろ、門真市に一戸建てを購入したが、間もなく離婚。ここでも母親が介在していた。

「彼には長男と生まれたばかりの長女がいました。離婚の際、奥さんが子供2人を引き取るつもりでしたが、彼の母親がとりなし、長男は彼の元に残ったのです」(小川をよく知る関係者)

母親は1996年ごろから門真市で小川らと同居し始めたが、数年後にがんで入院することに。ちょうど同じ時期から、小川は身を持ち崩し始める。消費者金融での多額の借金や戸籍を売ってカネを捻出する生活。

「和弘は看護師の女性が病室にいる間も構わず入っていき、母親に『金を出せ』と要求していたようです」(先の知人)

2004年ごろに母親が死亡した際、葬儀は身内だけで営んだ。別の関係者は「参列したいと小川容疑者に伝えましたが、断られました。よほどショックが大きかったのでしょう」と心中を推し量る。

小川が警備員の仕事をしていた2003年ごろ、この関係者は「女にスナックをやらせて羽振りがいいんですわ」などと聞かされたとも語り、「彼の放蕩ぶりがお母さんの心労を重くしたのは間違いない」とうつむいた。

小川「戸籍売り、金作った」

小川和弘が数か月前、入院先の病院で「内田」と名乗っていたことが、病院関係者の証言でわかった。同容疑者は知人らに「戸籍を売って金を作った」と話していたことも判明。虚偽の養子縁組で別人になりすまし、消費者金融から借り入れを重ねていた可能性が浮上、大阪府警捜査1課の浪速署捜査本部は、同容疑者の生活実態について詳しく調べている。

大阪府内にある病院の関係者によると、小川は「内田」と名乗り、1か月ほど入院したが、保険証は持っていなかった。入院中、小川は「自分は名前がたくさんある」と話したこともあったという。

事件後、捜査員が小川の写真を持って病院に事情を聞きに来たことから、病院側は「内田」を名乗っていた男が、小川だったと知った。捜査員は「内田」姓のカルテを持ち帰ったという。

また、小川が今年に入り、「戸籍を売って金を作った。戸籍はまた戻ってくる」「売った組織は、警察も知らないところ」などと、複数の知人に話していたことも判明。

戸籍を巡っては、多額の借金を抱え「ブラックリスト」に載った多重債務者が、虚偽の養子縁組で姓を変え、消費者金融から新たな借り入れをする手口が横行。ブローカーの存在も指摘されている。府警は、小川が数百万円の借金を抱えて生活に困窮していたことが犯行の背景にあると判断、新たな借り入れをするため、こうした不正行為に手を染めていた可能性があるとみて、違う姓を名乗った経緯も詳しく調べる。

一方、小川の国選弁護人に選任された岡本栄市弁護士(50)が3日夜、報道各社の取材に応じ、小川が「重大な事件を犯した後悔の気持ちがあり、反省している」という趣旨の話をしていることを明らかにした。岡本弁護士によると、小川は、事件当日の1日夜に初めて接見した際、突然の弁護士の来訪に戸惑った様子だったが、この日は口数は少ないものの、視線をそらさずに受け答えし、落ち着いた表情だったという。

個室ビデオ放火、死刑確定へ=16人死亡、上告棄却。最高裁

2008年、大阪市浪速区の個室ビデオ店に放火し16人を死亡させたとして、殺人や現住建造物等放火罪などに問われ、一、二審で死刑とされた無職・小川和弘被告(52)の上告審判決で、最高裁第1小法廷(横田尤孝裁判長)は2014年3月6日、被告の上告を棄却した。死刑が確定する。

一、二審判決によると、小川は2008年10月1日午前3時ごろ、「キャッツなんば店」の個室で自殺しようと放火。店舗を全焼させて客ら20人を死傷させた。

指摘される問題点

この火災については、次のような問題点が判明している。

  • 火災に際して、店員による消火活動や避難誘導などが行われなかったとされる。
  • 個室エリアへの出入り口が一ヶ所しかなかった。実際に火元から奥の部屋に被害者が集中している。
  • 同店の客の証言として、狭い通路にジュース段ボール箱が積まれるなどして通りにくい状態がみられたという。
    • なお、同店は消火器誘導灯自動火災報知器は備えていたが、消防法の規制以下の面積であったためスプリンクラー設備は設置されていなかった。
    • また、一旦は鳴った火災報知器のベルを、同ビルの防火管理者でもあった管理人がタバコの煙による誤動作と思い込んで止めたことが分かっている。しかし、これらの問題点について、大阪府警2009年9月30日に、店やビル管理会社について、業務上過失致死傷罪での立件を断念し、一連の事件の捜査を終結した。誘導灯や火災報知機が備え付けられていたとしても、被害状況は変わらないことがその理由とされた。

関連項目