「浜田麻里」の版間の差分

提供: Yourpedia
移動: 案内検索
(新しいページ: ''''浜田 麻里'''(はまだ まり、1962年7月18日 - )はシンガーソングライター東京都出身。血液型はA型。 == 経歴 == 中学...')
 
 
(他の1人の利用者による、間の1版が非表示)
6行目: 6行目:
 
[[1987年]]発表の「In The Precious Age」から録音場所を海外へ移し著名なプロデューサー、ミュージシャンを起用しアルバムを製作するようになる。この頃から初期にみられたハードロック色の強い曲調からポップさも取り入れた幅広い音楽性を表現しファン層をさらに広げる。[[1988年]]には[[ソウルオリンピック]]の[[日本放送協会|NHK]]のテレビ・ラジオ中継のイメージソングとして「Heart and Soul」が採用された。翌1989年の『[[Return to Myself ~しない、しない、ナツ。]]』が[[オリコン]]初登場5位。その後、[[プリンセス・プリンセス]]の「Diamonds」や[[工藤静香]]の「嵐の素顔」などと熾烈な1位争いの末、登場6週目にして1位を獲得した。同タイトルのアルバムも1位を記録。また同年に行われた[[日本武道館]]での単独[[コンサート]]も成功させた。
 
[[1987年]]発表の「In The Precious Age」から録音場所を海外へ移し著名なプロデューサー、ミュージシャンを起用しアルバムを製作するようになる。この頃から初期にみられたハードロック色の強い曲調からポップさも取り入れた幅広い音楽性を表現しファン層をさらに広げる。[[1988年]]には[[ソウルオリンピック]]の[[日本放送協会|NHK]]のテレビ・ラジオ中継のイメージソングとして「Heart and Soul」が採用された。翌1989年の『[[Return to Myself ~しない、しない、ナツ。]]』が[[オリコン]]初登場5位。その後、[[プリンセス・プリンセス]]の「Diamonds」や[[工藤静香]]の「嵐の素顔」などと熾烈な1位争いの末、登場6週目にして1位を獲得した。同タイトルのアルバムも1位を記録。また同年に行われた[[日本武道館]]での単独[[コンサート]]も成功させた。
  
[[1990年代]]に入ると[[アジア]]、[[ヨーロッパ]]でCDを出版し世界デビューを果たした。[[1993年]]にはチャリティーグループ「[[USED TO BE A CHILD]]」に参加。[[1996年]]にはアルバム「Persona」を発表するがライブ活動はしばらく休止する。[[2002年]]、赤坂Blitzにて9年ぶりとなるコンサートを行った。現在1~2年に1枚ほどのペースでオリジナルアルバムを発表、年1回のペースでライブツアーを行い、「アンチエイジング」な歌声と容姿を披露し続けている。2007年に[[第58回NHK紅白歌合戦]]に初出場した。
+
[[1990年代]]に入ると[[アジア]]、[[ヨーロッパ]]でCDを出版し世界デビューを果たした。[[1993年]]にはチャリティーグループ「[[USED TO BE A CHILD]]」に参加。[[1996年]]にはアルバム「Persona」を発表するがライブ活動はしばらく休止する。[[2002年]]、赤坂Blitzにて9年ぶりとなるコンサートを行った。現在1~2年に1枚ほどのペースでオリジナルアルバムを発表、年1回のペースでライブツアーを行い、「アンチエイジング」な歌声と容姿を披露し続けている。
 
+
 
なお、タレント・女優・歌手の[[濱田マリ]]とは読みに関しては同姓同名だが別人である。
 
なお、タレント・女優・歌手の[[濱田マリ]]とは読みに関しては同姓同名だが別人である。
  
130行目: 129行目:
 
[[Category:東京都出身の人物|はまた まり]]
 
[[Category:東京都出身の人物|はまた まり]]
 
[[Category:1962年生|はまた まり]]
 
[[Category:1962年生|はまた まり]]
 +
[[Category:NHK紅白歌合戦出演者|はまた まり]]

2008年11月21日 (金) 16:43時点における最新版

浜田 麻里(はまだ まり、1962年7月18日 - )はシンガーソングライター東京都出身。血液型はA型。

経歴[編集]

中学生の頃からコマーシャルソング(コマソン)の吹き込みで活躍し、都立武蔵丘高校入学後になるとパンクロックバンド「麻里バンド」を結成。更に青山学院大学でも「Misty Cats」のヴォーカルとして活躍し、1983年「麻里ちゃんはヘヴィ・メタる」のキャッチフレーズでメジャーデビュー。1980年代の女性ロックヴォーカリストの旗手として注目を集め、当時のハードロックジャンルとしては異例ともいえるアルバム売り上げを誇っていた。1985年には初のシングル盤となる「Blue Revolution」を発表。この頃からプロデューサーとしても名を連ねるようになる。

1987年発表の「In The Precious Age」から録音場所を海外へ移し著名なプロデューサー、ミュージシャンを起用しアルバムを製作するようになる。この頃から初期にみられたハードロック色の強い曲調からポップさも取り入れた幅広い音楽性を表現しファン層をさらに広げる。1988年にはソウルオリンピックNHKのテレビ・ラジオ中継のイメージソングとして「Heart and Soul」が採用された。翌1989年の『Return to Myself ~しない、しない、ナツ。』がオリコン初登場5位。その後、プリンセス・プリンセスの「Diamonds」や工藤静香の「嵐の素顔」などと熾烈な1位争いの末、登場6週目にして1位を獲得した。同タイトルのアルバムも1位を記録。また同年に行われた日本武道館での単独コンサートも成功させた。

1990年代に入るとアジアヨーロッパでCDを出版し世界デビューを果たした。1993年にはチャリティーグループ「USED TO BE A CHILD」に参加。1996年にはアルバム「Persona」を発表するがライブ活動はしばらく休止する。2002年、赤坂Blitzにて9年ぶりとなるコンサートを行った。現在1~2年に1枚ほどのペースでオリジナルアルバムを発表、年1回のペースでライブツアーを行い、「アンチエイジング」な歌声と容姿を披露し続けている。 なお、タレント・女優・歌手の濱田マリとは読みに関しては同姓同名だが別人である。

ディスコグラフィー[編集]

シングル[編集]

  1. Blue Revolution (1985.10.21)
  2. Crime OF Love (1986.05.21)
  3. Love And Free (1986.12.16)
  4. Magic -Adventurous Heart- (1987.06.21)
  5. 999~One More Reason~ (1987.08.21)
  6. Forever (1988.03.21)
  7. Call My Luck (1988.06.08)
  8. Heart and Soul (1988.09.07)
  9. Return to Myself ~しない、しない、ナツ。 (1989.04.19)  オリコン1位獲得
  10. Open Your Heart (1989.11.08)
  11. Heaven Knows (1990.07.11)
  12. Nostalgia (1991.12.16)
  13. Paradox (1991.10.10)
  14. Tele-Control (1992.02.05)
  15. Cry For The Moon (1993.01.27)
  16. Company (1993.07.28)
  17. Hey Mr. Broken Heart (1996.01.24)
  18. Antique (1996.06.05)
  19. Until the Dawn (1998.08.26)
  20. Millenia (2000.01.26)
  21. Frozen Flower (2002.02.27)
  22. Ash And Blue (2003.07.30)
  23. Fly High/Moonlight Shadow (2005.09.22)   

アルバム[編集]

  1. Lunatic Doll~暗殺警告 (1983年4月)
  2. Romantic Night (1983年12月)
  3. Misty Lady (1984年6月)
  4. Rainbow Dream (1984年11月)
  5. Blue Revolution (1985年1月)
  6. Promise in the History (1986年9月)
  7. In the Precious Age (1987年9月)
  8. Love Never Turns Against (1988年6月)
  9. Heart and Soul (1988年11月)
  10. Return to Myself (1989年6月) オリコン1位獲得
  11. Sincerely (1989年12月) *バラードコレクション
  12. Colors (1990年9月)
  13. Tomorrow (1991年10月)
  14. Anti-Heroine (1993年3月) オリコン1位獲得
  15. Introducing...Mari Hamada (1994年1月,ヨーロッパ地域のみ発売)
  16. Inclination (1994年3月) オリコン1位獲得 *BEST
  17. All My Heart (1994年8月、アジア地域のみ発売)
  18. Persona (1996年3月)
  19. Philosophia (1998年10月)
  20. Blanche (2000年2月)
  21. Marigold (2002年3月)
  22. Inclination II (2003年6月)
  23. Sense of Self (2003年8月)
  24. Sincerely II (2005年2月)
  25. elan (2005年10月)
  26. Sur lie (2007年3月)

サポートメンバー[編集]

(現在のサポートメンバー)

(過去のサポートメンバー)

主なレコーディング参加ミュージシャン[編集]

(国内)

(海外)

関連項目[編集]

  • Greg Edward (8thアルバム「Love Never Turns Against」から13thアルバム「Tomorrow」までをプロデュース)
  • ビーイング(3rdアルバム「Misty Lady」から6th アルバム「Promise in the History」までは、ビーイングのプロデュース下でアルバムをリリースしていた)
  • 樋口宗孝(LOUDNESSのdr)(1stアルバム「Lunatic Doll」および2ndアルバム「Romantic Night」をプロデュースした。片山圭司らと作詞・作曲・編曲も担当)
  • 松本孝弘B'zでのデビュー前にライブツアーサポートをしていた)

外部リンク[編集]